とある幸せな景色を、ああこれはつくづく良いものだなあと心底思いながら眺めるような、そういう時間が欲しい。偶然の景色でも良いし、作り込まれた景色でも良い。そこには多分、優劣はないのじゃないかと。というか作り込まれて実現された景色には、ある種、それを計画的に作り出してしまうという錬金術の実現のような素晴らしさがあるかもしれない。

てのは、理想の“広告”的な一形態だろうなと、ふと。