僕の名前をあげる

星

ここんとこずっと、なんとなくだけど意識してたのがアートとそれを語る行為との隔絶についてだった。で早速その結論なんだけど、批評ってのはなんて下らない行為なんだろう、と。アートが、絵画に始まるような原初のヒトへと遡ってもその起源を確定できないほど生それ自体に基づくものなんだとするならば、それを語るっていう行為との間にある断絶には、正直愕然とさせられた。その諦念故にもう、ここしばらく全然書く気が起こらなかった。ていうか今も。まあただ戯れる程度にしか考えてなかったのかもしれない自分も自分だけど、どんな思考や理論もよせつけないような今まで全然信じてこなかった実感(←えーと、“感性”とか“感情”とかそっち側から沸いてくるようなもの)みたいなとこからそれが凄い存在感を伴って生まれてしまったので、とにかくいろいろがっかりした。楽しいと思うのは変わらないけど、ホント無意味だしなぁ。どうせこんなん思うんだったらもっとずっと早くにこれ始めてもっといろいろそれっぽいこと書いてからやめればよかった。まだはてなダイアリー市民にもなってないのに。

真夜中に虹のかかるように

こないだ、朝から海の(ちょっとだけ)向こうの臨海副都心にてメガスターⅡ(プラネタリウム)を見てきた。星が多すぎて細かすぎて、肉眼では恐らくすべては見えない。やっぱり双眼鏡ほしかったな。ところでああいう空間は(というかなにかしら機能の定まった空間には全てあてはまることだけれど)、建物外観ていう全体と具体的な部屋(空間)っていう部分とがもっとちゃんと関係づけられたならきっとより良い建築体験になるだろうに。部屋と部屋の繋がり、空間の連なりがダイナミックにイメージできるか否かで建築に対する印象はもの凄く変わるのだから。
その後もいろいろそこで遊んだ後、水上バスで浅草へ。途中、英語が苦手なことと、月島の街並みも何もかもがマンションと首都高に遮られて川面からは望めないことを再確認。上陸して、仲見世で金龍山のあげまんじゅう購入。上野でごはんとビールとワインの後吉祥寺でまたビール後ワイン。お世話になりました。あとまたデジカメを忘れてたので、写真はネットから適当に。そして、3つのタイトルはどれも「STONE FISH」より。