ビル・ヴィオラ「はつゆめ」@森美術館

昨日、ヴィオラ・チューズデイで「はつゆめ」観てきた。展覧会タイトルのくせに上映会でしか観れないっていうから頑張ってみたけど、まぁあんなもんかっていう印象。朝から夜へ、田舎から都市へっていう大枠の中で生と死を映してたみたい。内輪の人は知ってるだろうマルワンさんぽい(←多分そうだと思うんだよな。ブルーノ・タウトによる日本建築評価を引き合いに出して質問してたあたり。)人が、ヴィオラが「はつゆめ」で見出した“日本性”は果たして日本人から見てどうか?(=正しいのか?成功してるのか?)的な質問してて、面白いなあと思った。
展示全体も見たなかで思ったのは、水とか火っていうのはそれ単体で取り出してしまうと意外にも身近には感じられないメタファーで、なんだかなあってこと。またスローであることはただそうであるってだけで、たとえそれが絵画的であろうが能的であろうが騙された気にしかならない。というか、グレッグ・イーガンの『順列都市』をちょうど読み終えたとこだったから、「17分の1の減速とのコミュニケーションってこれより遅いのか!」とか考えてしまってどうしようもない。
そういえば、《ラフト/漂流》はエンターテイメント過ぎて笑った。不謹慎だろうけど。