丸の内線池袋方面行が御茶ノ水駅に入る直前ほんの数秒間だけ現れる神田川は静的ではないけれどもしかし進む列車との対比か時を止めたように残る水面の動の一瞬の印象は凄く好きだなあ。と相変わらず書くことはないままPCに向かってたら思い出した。水面を見下ろすだけならそれは神田川に沿って走る中央線でも良いのだけど、水面との距離と、短いゆえに強く刻まれる時間があいまって生まれる一瞬のクライマックスという点ではやはりメトロが勝る。とはいえ、こうして書いた程のクライマックスなんて生まれてないと実際体験してみれば感じるのにそれをこう喚起してしまうあの不完全なバランスゆえの自由度はなんなのか。
それは単純に地下空間に覗く不意の外界が生む開放感ともとれるけど、それより均質な地下に現れる一瞬のノイズと言ったほうがしっくりくる。個人的な例だけど、例えば前衛系の音に触れる際にそれを音楽として聴くんじゃなく、今まさに聴いている受容器官としての身体の反応を見、楽しむようなそんな態度があの“ノイズ”に触れる際にも現れているように思う。
でいきなり話は飛ぶけど、デコンてそんなノイズをもろに空間/形態に表したのかもなとか思った。