AMPG to 現美

1日、年度初めを敢えて無視するかのように代休を取る。というか、次の仕事に追われないためにはそれしかなかったんだ。向かうは清澄白河。ギャラリービルは行けなかったけれど、AMPGと現美へ。AMPGの展示はもう13回目を迎えていて、僕は今回と第4回の展示しか観れていないけれど、とにかくあそこの展示は素晴らしい。ジャストアイデアをどこまでも推し進めるその強さ、と言ってしまえば批判も含めた現代性を持つように聞こえるけれど、しかしあの造形力と完成度はやはり凄い。植物への偏執的なまでの形態への執着も、現前する存在感に中てられてただ許容せざるをえない。先月の『式3』は観たかったな。
現美では川俣正〔通路〕とMOTアニュアル2008『解きほぐすとき』の2つ。
〔通路〕は外部空間や裏の空間が何故だか観れなくなっていてちょっとつまらない。“通路”という移動空間を展示室内に出現させることによる視点の転換や風景の変容は正直大したことはなくて、その先の例えば“プロセスとしてのアート”を感じるにしても、“通路”であることはあまりにギミック過ぎて、“プロセス”として在ることの目的には辿り着けない。プロセスとして在ること、それは所有観の変容を狙い、過去と未来へと可能性を開き続けることだと思う(て書いてて今、いやそれは移動体験の知覚に依るのだったか。とも思っているけれど、どちらにしても今回の展示では弱いのだからその追求は今は勘弁。*1)。うーん、通路として出現させるよりも、例えばばら撒かれた材の合間を主体的に縫い歩くような、例えばそんな移動空間のほうが良かったんじゃないか、と思ったりした。
MOTアニュアル2008『解きほぐすとき』では、解きほぐす=解体する視点による神経質さが面白くもあり鼻につきもする。手塚愛子の11mにも及ぶ大作/新作にはちょっとがっかり。構成要素の再構成が個人の美学に取って代わり、主従の反転した表現のための表現に見えてしまったんだけど、どうなのか。金氏徹平立花文穂は変わらず好きだったけれど、出展作家5人の中では高橋万里子の「月光画」のうちその母を被写体としたものが最も良かった。なんでだろうね。

*1:て、言い訳として成り立ってないのも分かっているけれど。時間はあまりないのです。