半年振りの友人と銀座のささもとで飲む。山形出張の土産とのことで玉こんにゃくを貰った。大好きなんだよ玉こんにゃく。ありがとう。
モツの串焼きを食べながらいろいろ話す。野崎孝グレート・ギャツビーは素晴らしく、村上春樹のそれは胸苦しくてちょっと・・・という言葉が、分かるんだけどしかし同時に新鮮で、もう一度読み比べるかって気になる。けど、そもそも野崎孝村上春樹という対比よりも、野崎孝村上春樹対その他という対比のほうが面白い気もするんだけど。

て書いたのがもう5日前か。ほとんど寝ずの出勤や朝帰りを繰り返してちょっと体調を崩し、その中でフォトショに向かってたりして日が過ぎる。切れたハロゲンランプは放置されている。日曜日、楽しみにしていた東野祥子のSePT独舞が公演準備中のアクシデント(転倒)により中止になったと、家を出る直前に届いたメールで知り、しばしぼんやり。しばらくして立ち直り、清澄白河のAMPGへ。D-BROSのデザインディレクター植原亮輔と渡邉良重の「SPECIMEN OF TIME / 時間の標本」展を観に。そこでは、幾つかの古い標本ケースの中に洋書・和書の古書が計数十冊、開いて並べられていて、それぞれの中央に蝶が1羽ずつ止まっている。それぞれの蝶は実は、古書の開かれた2ページが綴じを対称軸として蝶の外形に切り抜かれ、その両面にリアルに彩色されたイラストなのだけれど、彩色の奥に透けて見える文字をその体に纏う蝶の姿が、本という存在のメディアには留まらない物性の象徴となり、そしてそれは本を閉じれば厚みを消して本に同化もする2次元の生命でもある、そうして重ねあわされる本と蝶は、蒐集の対象としての美しさも同時に提示されている。「時間の標本」というタイトルは、“時間”という言葉よりももっと相応しい言葉が他にあるんじゃないか、それを見つけたいななんて思いながら、ふわふわした気分で帰路につく。
その後、新宿で友人を待つ間にYESTERDAYS NEW QUINTETSTEVIE』を買ったけれど、言ってしまえば所詮はカバー。Madlibとはいえスティービーを超えられるわけもなく、イマイチ。というか僕は、あんまりMadlib好きじゃないのかもしれない。

Stevie: Instrumental Tribute to Stevie Wonder

Stevie: Instrumental Tribute to Stevie Wonder