“誰かかから”って、昨日のエントリで僕は書いていた。昨日のエントリでの“善良な家族”“孤独な青年”のそれぞれ“善良”“孤独”はあまりに説明が足りない、補足でも付けようかしらんなんてことを思い読み返していて見つけたダレカカカラはなんだか愛嬌があって良い。二、三回口ずさめば“かから”っていう接続詞が存在するような気がしてくるし、または“カカカラ”っていう響きの空虚さに秋の季節を感じたりもするじゃないか。もしくは例えば“誰かか何かから”が略されて“誰かかから”になったかのように、含みのある略語のようにも聞こえてくる。“誰かか何かから”ではあまり納得感がないから例えば“君だったか君ではない誰かだったかとにかくその辺りから”を短く“君かかから”と言ったとすれば、分かったようで分からないけどでもまあうんと頷いておこうっていう温かくにこやかな諦めの空気で一帯が満たされそうな気がしてくる。
とすれば、“か”が一つ増えるごとに“またはそれらでもないまた別の何物かから”っていう意味を重ねていけるだろう。“君かかかから”といえば、“君だったか君ではない誰かだったか、または誰かからということもなくふと浮かんだことだったのかもしれないけど、まあそんなことはもう良いじゃないか”ってくらいの意味に広がることが予想できる。それはなんだか良い世界だ。
とはいえ“君かかかから”まで来てしまえば、それ以上はもう元も子もない話にしかならないから、もう“か”を増やせないってことになるわけだけれど、まあこれ以上増やしたら多分誰も面倒で理解しない。
なんというか下らないエントリだけれど、まあ良いじゃないか。