AMPG

25日日曜日、AMPG Number22『hand vase』。握られた手や開かれた手、F○ckな表現の手(の模型)に花が活けられている。花と手の関わりが、無作為な関係性が刹那的に現れるしかないっていうふうに、最終形に持ち込まれるまでのあくまでも“過程”の関係しか持たないものだと考えれば、この作品ではその刹那的関係性をさらに瞬間に押し留めることで恒常化させたんだ、と言えるだろう。これは、理解の納得度としては凄く深くて、とても腑に落ちる表現だった。
のだけれど、しばらく眺めて考えても結局ずっともやもやとしたものが解けず残ってしまったのは、瞬間の凍結である手の形態それ自体への疑問が解けなかったからで、無作為な関係性はいつどの瞬間を切り取ろうが根本的に問題ない(関係ない)から、切り取られた結果そこに現れた形態すら問題ないってことになるんだけど、しかし並べられた作品(群)を眺めていて浮かんでしまう「自分だったらどう形作るか」という問いはそこに現れている形態への小さな不満以外の何物でもなくて、とはいえそこにこれっていう明らかで象徴的な答えは(まあ当然)出なかったのだけれど、しかしそう思ってしまう背後にあるいわば“表現の可能世界を拡げ過ぎてしまうコンセプトへの疑問”が拭えなかったから。
大前提としてもちろん、面白かったんだけどね。