project_bb

友人達によるユニットWM +associatesによる建築の実施第一号『project_bb』について。
どう書けば良いかなーって悩みながら、一つの仮定/過程として辿り着いた僕なりの答えをここに。まずproject_bbは住宅で、長野のとある住宅地に建っている。ロの字型の白いマッスが中空に持ち上げられ、開口は主にロの字の中心=中空の中庭に向かっている。そしてそのマッスの上には小さな塔屋。その内部は4畳半くらいで、梯子で階下とつながれている。
この住宅で実現されているのは、早速だけど一言で言えば“豊かな散歩”。(住宅で散歩って。て思われるだろうことは分かりつつ、しかし今“散歩”以外の良い言葉が思いつかなかった・・・てのもありつつ)
散歩っていう行為を考えれば、その特徴は何か/何処かへ向かう意図や意志というよりも、その意図や意志が場面場面で容易に置き換わっていくような柔軟性、自由度の高さだと思うんだけれど、project_bbではそんな在り方を体現するような空間が出来上がっていたと思う。
ロの字型の回廊状の空間は、それぞれの辺にあたる空間が約1m〜4mへと変化していって、間仕切りなく繋がっている。その動線的空間性ももちろん“散歩”であるし、繋がっているからこその行為の非限定性も“散歩”であると思う。とはいえTVが置かれ、畳が敷かれたリビング的空間での行為の比重はやはり高くなるのだろうと予想できるけれど、そこには塔屋への梯子がそなえられることで、その先の余白(自由度)がしっかり用意されている。塔屋は大きな開口があるだけのシンプルな空間で、外部へ開かれた凄く気持ちの良い場。そのまま屋上へと出ることも出来、その屋上はといえば手すりもないちょっと危険なところなのだけど、手すりがなくいことが周囲との空間的連続を強く感じさせる*1、そんな場になっていた。
そんな終点のない空間が、非均質なまま実現してるってのが面白かった。


で、そんな“散歩”的空間についてまた別の言い方をするならば、“縁”的だったとも言えるかな。要は縁側のことだけど、どの空間も何かしら縁的要素を備えている。1階のピロティは都市への縁として、2階の回廊は中空やその向こう(向かい側)への縁として、3階の塔屋は都市を借景とする縁としてある、というように。そんな内部化された“縁”としても、あの空間は感じられた(もちろん、1階は外部だけどね)。上記の「非均質なままの、終点のない空間」ていうのは、“縁”をイメージしたほうが伝わる言葉かもしれない。
そして、そんな穏やかな動線である“散歩”的空間を象徴するように、文字通り“門”として、1階ピロティの柱は門型が採用されてる、なんてそんなことも思ったりして。
とにかく楽しい&気持ちよい体験でした。用意されていた感想シートに上手く書けなかったので、ここでつらつら書いてみたけど、何かしら今後の刺激になればと*2
WM、おつかれ。また次を楽しみにしてます。
さて、以下写真。塔屋と外部の写真ばっかりです。
こんな道の先にある住宅。

で、こんな住宅。



























設計と構造と設備の面々。

*1:ここ、表現が難しいんだけど、手すりという仕切りがないから即ち連続しているんだ、という単純なことではなくて、手すりがないから周囲との断絶を身体的により強く意識するんだけど、その断絶を強く意識するってことがすなわち周囲を強く意識するってことで、結果的に周囲とよりつながっていく、そんな感覚でした。うーん、言葉にすると難しい。。

*2:て、おこがましい?