OM-2『作品No.7』

13日土曜日、OM-2『作品No.7』@日暮里サニーホール。
OM-2を観るのは4度目。見ること、読むこと、理解することを退け、どこまでも死に迫っていくその直前で踏みとどまり、“生”と“死”の狭間の極限で矛盾を抱えながらも存在の自由へと至ろうとするOM-2だけれど、今回はその中で鎮魂歌を奏でるという新たな表現へと至っていた。
冒頭、舞台端でベッドに潜り込み眠る“母”的存在の女性の横で、一人蠢き、雑誌を、新聞を破り、その顔にあてがい、巻きつけ、やがて血塗られたように真っ赤に染まったその顔を晒す佐々木敦。やがて本を、その頁を宙高く投げ散らかし叫びうずくまる。様々な頁で埋め尽くされた舞台上では、「死に行く資本主義へ捧げられる音楽」が奏でられ始める。それは10人ほどの演者によって大小のドラムとシンバルを叩き形作られる様々なリズムの渦。

言葉にすればほぼこれだけで終演した舞台だった。今回の舞台のほぼメインであったと言っていい“音楽”を僕らはどう捉えれば良いのか。資本主義を死へと送り出すことへの賛意など僕にはないし、OM-2にとっての“音楽”の重要性を果たして理解出来るのか、未だに疑問ではあるんだけど、唯一、僅かでも僕にとっての可能性を感じられたとすればそれはその音がポジティブに聴こえたという点だろう。ある種の破壊性や狂気に迫る個のあまりに寂しい在り様から一歩進んだ先で、狂気は未だ携えながらも周囲と繋がりうる手段として“音楽”があったように感じられて、そこに死と生の極限にある矛盾の中で行き止まらずその先へと進みうるきっかけが提示されたのだと思えた。
会場で先行発売されていた、OM-2の演出家である真壁茂夫の演劇論集『「核」からの視点』を購入し帰る。まだ数十ページしか読めていないけど、今のところ興味深く読めている。