レゾナンス

先々週くらいだったか、『RESONANCE/共鳴』展@サントリーミュージアム天保山。大阪に来てからようやく行けたアート展。様々な作家の作品を集めたオムニバス形式の展覧会。
アートと鑑賞者のあくまでも個人的なレゾナンス(共鳴)を喚起し、展覧会全体を通してのストーリーを個々人が体験し、アートの意味や可能性を感じとって欲しいという主旨の展示とのこと。
だけれど、それ(個人的な共鳴の喚起)は果たして現代アート展の“主旨”足りうるのかという、容易に想像されるだろう疑問/批判への回答はそこには無かったなというのが率直な印象。比較的若い作家の作品が多い展示だったけれど、その時代性には関わらず大きく2つの方向性の作品が(整理されないまま?)並べられていて、まずそこに疑問符が浮かんだ。
その2つの方向性の1つ目は内面の吐露と言えるようなあくまでも作家の心象の表現である作品(イケムラレイコや草間彌生等)で、いわば個で完結した世界観の特殊性の表現。対して2つ目は、他者との関わりの持つ個への影響力への視座が備わっている作品(や小泉明郎)であり、いわば外圧へと開かれた世界への意志表明となる表現。
もちろん、こんなに単純に割り切れない作品も多いけど、でもそもそもこの2つの整理はまず必要なんじゃないか。レゾナンス(共鳴)という大きなテーマの下、現代アートの持つ体験性や意識変革への可能性を訴えるならば、より幅広い鑑賞者に向けた道筋の整理が必要だと思う。何かを観るその時、鑑賞者は一体何を拠り所として感じ、考えれば良いのかくらいは。
ただしそれをすることによる鑑賞者個人の体験への制限が在ることも確かで、もしその制限を“否”とするならば、個の内面と他者との関わりが切り離し得ない関係を持ち一体となって提示される作品(例えばだけど、マリーナ・アブラモヴィッチの作品のような。)をこそ、揃えるべきなんじゃないかと感じた。
テーマに対する印象はまあこれくらいにして、じゃあ作品群はどうだったかと言えば、実は好きな作家がたくさんいて、そこはそことして楽しめた*1。特に良かったのは、やっぱり小泉明郎とジャネット・カーディフ小泉明郎は以前森美術館だったかで一度観たことがあるだけなのだけど、その時の作品も今回の『若き侍の肖像』も場や状況を劇的に変容させていくのが見事で、つい見入ってしまう。ジャネット・カーディフ『40声のモテット』はその作品自体というよりも、リアルを切り取ったような聖歌が歌われる空間をホワイトキューブに持ち込んで、さらに鑑賞者が日本人ていう、2重に意味を剥奪されたような作品がレゾナンス(共鳴)というテーマの下提示されるっていう、どこか捩じれながらも同時にそれこそ本質的な共鳴に繋がるかもしれない状況が面白かった。
で帰りにミュージアムショップに寄って一応展覧会ガイドブックを購入。加えて、今回の展覧会とは関係ないけどショップに並べられていた絵本『やまのいえで』を買う。みろこまちこという人の作品で、乱暴だけど神経質な絵とストーリーはなんだかとても良かった。

*1:とはいえテーマを無視するのは一鑑賞者としてもなかなかできなくて、大好きな作家の大好きな作品なのに「?」が浮かんでしまうものもいくつかあったのだけど。