『日本人をやめる方法』杉本良夫/『なんとなく、日本人』小笠原泰

一号館屋上


ともに、日本人論。より正確には反・日本人論かな*1。前者は1990年、後者は今年(2006年)とその執筆された時期は異なるけれど現状の「日本人論」に異を唱えるってとこは共通してる。ただやっぱり、時代背景が極端に異なるからそれぞれの捉える“現状”もまた極端に異なるわけで、乱暴に言ってしまえば90年当時は「日本礼賛」が、今は「日本卑下(欧米礼賛)」が世を覆っている*2。またそれぞれの著者の背景も対照的で、徐々に絡めとられ固定化されていくような社会構造に疲れ日本を離れた杉本に対し、外資コンサルや穀物メジャーでの勤務を経た後日本に戻り「やはり楽だ」と実感したという小笠原。けれど共に、タイムリーな欧米的日本人像を起点としてその都度極度に振れる「日本人論」を打破しようとして、『日本人をやめる方法』では多数的視点を目指し、さらに『なんとなく、日本人』ではより正確な日本人像を描き出してみせたように思える。
それ(=より正確な日本人像)は、役割構造の安定化を求める日本人は欧米の「個」の概念(に基づく合理的思考)に対して「場」の概念(に基づいた合理的思考)を持っているのであり、またそれは「日本語」の言語構造に起源を持つ、というもの。日本的社会や日本的思考、関係性などはそもそも言語構造に起因するのだから変革させていくのはほぼ不可能だし安易に否定出来るものでもなく、ただそれらを自覚することで日本的な企業や社会の(世界の中での)在りかたが見えるはずだ、という。厳密さは怪しい文章かもしれないけど、かなり納得してしまった。ただ、小笠原が『なんとなく、日本人』の中で挙げていく「日本人性」のようなものはそれらを日本人が無自覚でいるからこそ力を発揮してきたような性格のもののようにも思うので、「自覚して」っていう言葉がかなり抽象的に感じられてしまった。もし皆が「自覚」したりなんかしたらその同一性に辟易して、即座に日本的社会なんて成り立たなくなるんじゃないか。まぁそんなわけないけど、そん時にはまた『日本人をやめる方法』を読めば良い。

日本人をやめる方法 (ちくま文庫)

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なんとなく、日本人―世界に通用する強さの秘密 (PHP新書)

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*1:さらに正確には、『日本人をやめる方法』については以前某SNSで「反・日本人論・論」と書いてみた。こんな分かりづらい言葉作って良いのかと思ってたのだけど、Amazonの書評でも似たような言葉を使ってる人がいて驚きました。それだけ。

*2:90年当時の僕の実体験に基づく回想的なものは一切含んでない(というかそんなものは年齢的にまだなかった。)ので実際のところは知らないのだけど。