Jenny Holzer/小野友三

Jenny Holzer

最初に謝っておくと、今回のは文章として成り立ってないんじゃないかってくらい支離滅裂になってます。自分の中だけでの連続的飛躍をそのまま書いてしまった。
まず、Jenny Holzer展@SCAI THE BATHHOUSEへ。壁に小型のLEDサインがグリッド状に配置され、それぞれ同じ内容のテキストが微妙にタイミングをずらされながら反復していく。同時に写真作品も展示されていて、そちらではテキストの全文を容易に認識でき、投影されるテキストの背景となる建築や樹木、都市との絶妙な異和を増幅させるけれど、小型のLEDサインになるとそのテキストの把握はそれほど容易ではない*1。ジェニー・ホルツァーといえば、写真作品にあるような都市内でのテキストの投影とギャラリー内でのLEDによるテキストの設置という二種類のインスタレーションに分類できるけど、異化*2という点からはやはりどうしても後者のほうが作品としてのインパクトが弱かったと思う。それを今回のLED作品では、映し出す小さな装置と映し出される文字のサイズを近づけることでスケールのアンバランスを作り出して、作品と鑑賞者の固定化された距離を撹乱しようとしたんではないかな。というのも街中の作品でもそうだしこれまでのLED作品でもそうだけど、ジェニー・ホルツァーの作品には作品全体とテキストの両者を同時に把握出来る視点が常に存在していたように思うし、それが特にギャラリーでの展示における既視感を生んでいたようにも思うから、今回の作品では装置の小ささと壁全面へのグリッド配置ていう与条件をみずから作り出すことでテキストとそれとのズレ(=異化)を生もうとしたのかなと。なのでそこには今までの自らの作品への諦念みたいのも表れているような気がしてしまった。ちなみに、作品は結構綺麗でちょっと驚きます。そういう意味では全くインパクトはないかも。


SCAI THE BATHHOUSEを出た後、今年6月にこっち(谷中)に移転してきたっていうGallery Jinへ行ってみる。小野友三展。芸大で日本画を学んだらしいけれど、現在の彼の作品の支持体がなんとアルミで、その上に岩絵の具が乗っている。アルミっていう選択がなんとも良い。妙にそこで食指が動かされてしまい、全然冷静に見れなかった。とりあえず時代の感性(?)的に完璧とか言ってしまうテンション。アルミエコハウスに一枚、どうだろう。

*1:というのは正確ではなくて、普通に目で追っていれば問題なく認識できるけれどそれが写真作品などのようにイメージとして記憶されることはないから凄く瞬間的な存在であるっていう無常さとサインの集合した全体としての見えとのバランスで、相対としてはテキストは認識されづらい地位にいるってこと。

*2:この言葉の意味、ちゃんと定義できずに使ってます。すみません。