須田悦弘

今日夕方、仕事の合間、打ち合わせまでの空き時間に観た須田悦弘展@ギャラリー小柳はそれなりに良かった。数十年前までの壁を支持体とする美術(館)空間――それはつまり絵画に依る――への真摯で個人的なアンチテーゼと僕はつい読んでしまう。その意味で(アンチとはいえ)あれは絵画だ、と。支持体であった壁をいかにこちら側へと引き出せるか、作品をいかに壁と同質な存在へと押し戻せるか。まあだとすると、そうして作られた作品=空間に触れることで結果的に生まれる感覚・思考がこそ作品である、みたいな話にもなってしまってそれもどうかとは思うけれど、しかしそんな意図の表れ方は“場所性の中の場所性の追求”によって凄く完成度の高いものになっている。ただし、その追求にはキリがない。いかに余白が広く美しくとも、余白の広さが生む美しさはそれが広ければ広いほどより強く感じられるのだろう。
実際、ギャラリー小柳に産み落とされた花たちはどこまでも印象的でそれぞれの存在は大きすぎ、そんな追求の可能性など当初から無いものと捨て去ったかの如く感じられる。


アプローチはまだ他にある。個展で須田悦弘みたのも初めてだったしさ。