アタゴオル

ここんとこ毎土日で部屋を探してて、今日ようやく決めてきた。多少の妥協感は残しつつもまあ満足。でそうして結構な数の不動産屋を回ったりあと普段ネットレコ屋を覗いたりしてて最近思うのはいかにサービスの質を高くするかとか、または扱う個々のサービスの質を同等に引き上げられるかとかでその成功の可否が大きく異なりそうだなってこと。もちろん各店の売り上げなんて知らないから僕のイメージだけど、費用対効果で仕事を客観視するなんてのはノウハウの極一部でしかなくて、客が受ける不安要素をどれだけ小さくするかってのが結局は求められてることなんだね。なんて、昔から当然だったことだけど*1、それが不動産屋とかネットレコ屋とかいう身近なとこから感じられたのが僕としては面白かった。あと、そんな“ユーザビリティ向上の徹底”とでも言うような意識が製造側・サービス側だけでなくて社会に通底する自明な無意識として在りはじめてるようでそれをまた面白く感じつつ、同時に多少の怖さも残る。解像度を高めユーザビリティを上げ続ける社会は便利だけど同時にとても神経質な世界で、外れたモノ達を容赦なく切っていくだろうし切る側の流れに自分もしっかり乗ってるなとか意識するとやっぱりちょっと怖くはなる。
ちなみに次の部屋の家主も凄く神経質そうで、新たな環境の中でそこだけ不安といえば不安。これは社会どうこうとは関係ないけど。
部屋を決めてやっと気分が解放されたので、おごそかにイヤホンをセットし、歩く。例の如く古書ほうろうへ。グレート・ギャッツビーの村上春樹訳をようやく買う。他に茂木さんとか2冊。グレート・ギャッツビーは野崎孝大貫三郎に続き読むのはこれで3人目で、楽しみ。
ミヅマアートギャラリーは結局行けなかった。

*1:あ、でもどれくらい“昔”からその辺意識化されはじめたんだろう?