武盾一郎

富士日記2.1をいつものように読んでいて、そこで紹介されていたdegital creatorsなるメールマガジンのバックナンバーの一記事、武盾一郎「ふたつの見えにくい『暴力』」を読む。そこに書かれているのは東京で今退去の危機にさらされている2者のこと、そしてそこで退去の為に行使されている力のいかにも現代性を孕んだ不可視性についてだ。正直この事実に接しても僕が何を行動するということはないだろう。けどこういった事実が事実として認知すらされない状況に対しての疑問はあるから、こうしてリンクを貼ることにした次第。
リンク先に飛べば分かるように、執筆者の武盾一郎は以前新宿西口地下で実際に人の住むダンボールハウスにペインティングを行っていた人で、結局それらは「動く歩道」開通工事のために葬られたのだけれど、彼はその撤去の際にもその時描いていたまさにその一枚が倒れるまでペイントを続けていた。
その当時の画はもう残っていないけれども、当時の様子は『Paintings on the cardboard houses at Shinjuku Underground in Tokyo.JAPAN 1995-1998』という絵画写真集によって知ることが出来る。2005年9月に発売されたこの本はしかし手製本版とくるみ製本版のそれぞれ50部ずつ計100部しか刷られていない。僕は06年2月に表参道NADiffで偶然出会い手に入れたけれど、さすがにもう残ってはいないんじゃないか。内容はといえば、載せられた写真たちはどれも毒々しいほどに強く、それをどこにどう位置づけるという以前に個人的に目を背けられないというものだった。しかし05年9月に発売して5ヵ月を経た06年2月ですら100部が売り切れていなかった状況を考えれば、(強引だけれど、というか全く別の現象かもしれないけれど)不可視の東京のその根深さというものを、(上のリンク先の事実とともに)感じざるをえない。
そんなわけで、多分もう『Paintings on the cardboard houses・・・』を手に入れるのは難しいだろうから、以下のサイトを貼っておく。

武盾一郎らの当時の様子は今ここでかなり見ることができるし、武の当時の日記がアップされたブログもある。

[diary][art]

上の話はちょっと異なる視点で見れば、こちらも今日また別のブログから飛んだ先で読んだ会田誠の話にリンクしてたりするんじゃないか。