随分と時間をかけて読み進めてきたJ.G.バラード『クラッシュ』をようやく読了。人間と車(機械)のシュルレアリスティックで弁証法的な結合の夢想が徐々に現実を凌駕するその物語は、あの時代(70年前後)特有の感覚か。と切り離すのは簡単なのだけど、60年代に続々とモーターウェイ(高速道路)の整備が進んでいく環境下で*1、現前するそれに非人間的なまでの新たな人間性の関与を見出したのだとすれば、現代でそのモーターウェイと自動車に代わるものはなんだろか、とか考えてみるけれど分からない。ネット? それじゃあまりに凡庸だし、もう古い。なんとなく、住宅(都市住宅)というハードを、身体性の暴力的な拡張とか言ってまさに今捉えることは出来そうにも思う*2。そして『クラッシュ』において遠く眺められる航空機のようにして、逆に遠郊外の庭付一戸建に思いを馳せるのだ・・・、なんて、それももう10年くらい古い気もしてくるけど。
とりあえず変態だったバラード。とはいえバラードによる「序文」はとても面白かった。

*1:ちゃんとは知らないけど、確か60年代くらいに整備が進みだしたんではなかったかな。

*2:建築思想的にというより、不動産市況的な視点を含めたより広い建築の視点から。と、一応注釈を。