読了

J.G.バラード『ハイ-ライズ』。
屹立する高層マンションの中で肥大化し暴走する自我と、低層・中層・高層で分化するヒエラルキー、それらがマンションという単位の内部で自閉していく社会。リアルの高層マンションでは恐らく、ハイ-ライズとは真逆の極度に神経質で清潔な生活が繰り広げられているだろうけれど、それを180度裏返せば、純粋に暴力的で個の欲望だけが罷り通る社会が成立するのだろう。高層マンションという特異な檻を媒介して起こる、人々のモラルハザードの様がとても刺激的。
バラードのテクノロジー3部作の中で未だこの『ハイ-ライズ』だけが復刊されていないから、たまに見かけるネット上の書評などで3部作中ベストだなどと言われるのは、その廃刊という事実から生まれるささやかな所有の(または既読の)優越感から来るのだろうと思いもしていたんだけど、こうして実際に読んでみれば“ベスト”と言いたくなる気持ちも分かる気がしてくる。僕としても、今はこれが一番好きかな。
佐藤亮一訳によるフィッツジェラルド華麗なるギャツビー』。
前も書いたけど、大貫三郎訳、野崎孝訳、村上春樹訳に続いてのグレート・ギャツビー読み。村上春樹が結局“オールド・スポート”に落ち着けた、親愛の情を表してギャツビーが私(ニック)に呼びかける言葉が佐藤亮一訳では“旧友”となっている。これ、4人の訳者全員が異なる言葉をあてているのが面白い*1。訳者間の意識とかあるのだろか。ともあれ全体として複雑な言葉回しもなくすっきりとした訳で好感が持てた。
福岡伸一生物と無生物のあいだ』。
買ったのはまだ新刊コーナーに平積みにされてた頃で、約半分ほど読んで放置してたのをようやく読了。“自己複製”に加えて、“時の流れに沿って不可逆に折りたたまれていくもの”という生命の定義が新鮮ながらもあまりに納得感を伴っていて、凄く面白い。時の流れに沿って不可逆に折りたたまれていくもの、とだけ聴けばそれは生命に留まらない含蓄を持つ言葉で、他にも福岡伸一の鮮やかな言葉の連なりとストーリーテリングの妙に彩られた文章は生命科学の本とは思えない飛躍力を備えている。
て、これだけだと分かりづらいけど、単なる生命の不思議を紐解く事実録とはその表現(伝え方)において立ち位置を異にする、現代における表現の遷移を感じた、そういう面白さとか言えそうな気もしている。(←現代、てのは大袈裟だろうけど。)

ハイーライズ (ハヤカワ文庫 SF 377)

ハイーライズ (ハヤカワ文庫 SF 377)

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)

*1:大貫三郎訳では“ねえきみ”、野崎孝訳では“親友”となっている。