手塚夏子『プライベート トレース 2009』

手塚夏子 プライベートトレース

28日土曜日、手塚夏子『プライベート トレース 2009』@門仲天井ホール

当初、立ち尽くす手塚夏子。たどたどしく、その身体の各部の状況を語りだす。例えば「首の裏の、左側が、・・・ちょっと、硬い。。」であったり、「背中・・・。腰の裏の、・・・左側の筋肉、が、ゆるんで、背骨がちょっと、右に湾曲する。」というように。そうした状況のトレースがやがて能動のトレースへと推移していく。
それは「腰が重い。腰が重くなるのに時間をかける。」というように。ここからは手塚の語りではなく録音された音声の再生に従って手塚がそれに沿う動作をトレースするという形になっている。床に腰を下ろした手塚が音声に従って微細な、様々な動作を行う様は、“行動の微分”とでも表現できるもので、それだけでも眺めていて興味深いシュールさを楽しめる。そしてやがて、その微分の集積=積分が何なのかが明らかにされるようにして、ある夫婦の会話がそれまでの音声と入れ替わり流れ出す。
能動のトレースだった音声はある地点で終わり、再び冒頭から繰り返され、1度目と同様の動きを手塚は繰り返すのだけど、そこに流れるのはとある会話へと移行していて、それまでの微細な動きがその会話における夫の動作の“微分”的描写に即して為されたトレースだったことが明らかになる。
そしてその会話も前回の動作の一連をなぞったところで終わり、再び動作は冒頭からの繰り返し。また当初の能動の音声が流れる中で、上着を取り替えイスに座る手塚の動作はそれまでと変わっている。やがてまた夫婦の会話が流れ出すなかで判明するのはそれが妻の動作だということ。
そして今度はその会話は終わることなく、しかし妻の声は消え、スピーカーから流れる夫の声と呼応して手塚が生の声で会話を続け、同時にそれまでの妻の動作が会話との絶妙なシンクロを見せながら続いていく。連続していく会話の中で同様の動作が3度ほど繰り返されたところで、スピーカーと手塚との会話から舞台に登場した夫の声の主とのリアルな会話へと移ったところで終演。
動作の微細な微分積分、と、そこからのさらなる遷移。(初演でもないし)手法的な目新しさはないだろうけど、手塚夏子の佇まいにはじまり、合間に挟まれたトランペットやバイオリンのノイジーな扱いや、動きへの執拗とも言える視点、対して、夫婦の会話に見る日常の切り抜きのさりげなさが醸す雰囲気が相俟って凄く面白い舞台だった。実験と生活がこうも見事に一体化された作品を観ることもなかなかないと思うのだけど、どうだろう。
小さい箱だったことに加えて観客が若干少なかったのが寂しかった。決して無名な人じゃないし、多分上手く宣伝出来てなかったんだろうな。