垂直のメッセージ

自分だけに響く自分だけの言葉があって、それを内的に、というか自身の内で完結させながら発することが出来たら、それを“垂直のメッセージ”と呼んでも良いかなあなんて思った夜。発せられたそれの行き先は未来てことになるわけで、誰にも受け取られることなく、自分の内にしか寄る辺の無い言葉の儚さとその裏表になる強さをもって、“垂直の〜”なんていう形容が相応しいのでは、と。
まあ、もう2年近く前になる前エントリのタイトル「水平のカラー」に対するアンサーにどんなのが良いだろかと考えつつ帰る夜道の産物なんだけど。
とはいえ、通常のメッセージ(会話なりコミュニケーション)が水平性を持つとした時の対比としての垂直性であれば、単に通時的ていう概念で良いじゃんて話も、頭の片隅には沸き上がる。けれど、垂直て言葉には通時性の中で他者に発見されたり影響を与えるようなインタラクティブ性が感じられず、ただただ孤独に在り続ける何物かていうイメージが僕の中にはあって(主観でしかないけれど、ね)。それは、インタラクションなしにただ“在る”何物か、であり、それが“ただ在る”ことが大事だと感じさせる何物か。だからこそ他者との関わりの中で為される意味付けや価値付けなど関係なく、自身の内だけで完結する、自分にだけ響く自分だけの言葉であろう、と。
具体的にどんなものだろうかと考える。曖昧になるけれど、それは自分だけにしか分からない感覚だろうし、語らずとも秘める意志かもしれないし、伝えることを諦めながらも携える感情かもしれない。もしくは、もっと抽象的で揺るぎない何かかもしれない*1
ともあれ、“垂直のメッセージ”と名付けたそれは、あらゆる人から発せられる。
夜道でふと、地上から空へと垂直に放たれる幾本ものまばゆい光が、どれ一つ交わることなく上昇していくのを想像したりした。

*1:というか、感覚としてはこれなんだけど、それを言語化ことが出来ずに核心を周回した前3例だと思ってもらえれば。。。