シティボーイズミックス

シティボーイズミックス 西瓜割の棒、

土曜日、シティボーイズミックス PRESENTS『西瓜割の棒、あなたたちの春に、桜の下ではじめる準備を』@梅田芸術劇場シアタードラマシティ。シティボーズに加え、いとうせいこう中村有志が加わり宮沢章夫が演出するという、あの「ラジカル・ガジベリビンバ・システム」的な舞台になる…のだろうか。その舞台を僕は観たんだけどね、良く分からないよ。なんせ「ラジカル〜」はYouTubeでしか観たことないし、比べようがない。そして今回加わっている更なるメンバーである戌井昭人鉄割アルバトロスケット)や笠木泉の存在も大きかったと思う。まあともあれ…

物語(?)は男たち五人がどこかへ向かう所からはじまる。彼等は皆黒いスーツを着込み、黒いキャリーバックを引いて、何やら重々しい雰囲気だ。何かのターニング・ポイントが彼等を待ち受けているのだろう。それは、戦争か、清掃*1か、いっそ死なのか、およそただ事ならぬ何事かが。
けれど彼等はどこにも行き着かない。というか、ようやく「門」へ着いたという所で舞台は終わる。その間はといえば、舞台上では“過程”を記述しているのかしていないのか全く分からないようなデタラメさとシュールさと、さらには誰かと一定の空気を共有した上でないと発せられるのが憚られるようなワードや皮肉が飛び交う自由な空間が断続的に現れていく。舞台上には、“自由”な“過程”が展開される。時間軸があるようでいて、その途中で様々な分岐を見せてはまた戻るような、そんなパラレルな時間軸だ。そこで入れ替わり現れるシティボーイズミックスのメンバーらによって演じられる様々なキャラクターは、やがて舞台冒頭&終盤の五人のスーツの男に集約されるようにも思えた。
であるとすれば、あの舞台上は様々な(あらゆる)キャラクターの追体験&追悼の場だったのではないか。年齢を重ねた彼等が/311を経て/そこにコントの笑いを添えながら、という条件を重ねれば、より一層そのように感じられる*2
最後に、舞台上で見えた彼等独自の身体性に今回僕は触れたわけだ。少なくとも、様々なかたちで人目に触れ、そこに長年耐えてきた舞台的な身体に。その身体の今後のさらなる変遷を見てみたい。また同じような面子で舞台やってくれないかなと、今から思う。

*1:土木的な、原発的な。

*2:直球な解釈だなあとは思う。その直球さは、僕が感じ取る勝手な印象だ。もっと滋味あふれた世界を目指していたかもしれない。がそれは、分からないし分かる必要もない。