フランシス・ベーコン展@国立近代美術館

フランシス・ベーコン展 東京国立近代

GW前半。出張を絡めて東京へ。フランシス・ベーコン展東京国立近代美術館へ。
展示されているのは、フランシス・ベーコン自身が一定のクオリティを認めたという1940年代中盤以降の作品。中でも印象に残るのは、やはり抽象空間の中で座り/横になり/叫び/境界を揺らがせていく人/肉の存在感。一方で、その存在感を詳細に理解しようと画面に近づけば、作品の表面には描かれた絵の具を拭い取った痕跡や、またはその上からさらに散布されたような絵の具の霧が視界を妨げてしまう。そうした層(レイヤー)が幾重にも施された(ように感じられる)ベーコンの作品群に、鑑賞者は常に核心をはぐらかされる。けれどその層(レイヤー)は実際にどれほどのものなのか。物理的には薄塗りの作品が多く、失敗作は容赦なく破棄し、また塗り残しも効果的に活用するベーコン作品において、層(レイヤー)への思考はちょっと現実に即していないんじゃないか、概念的なんじゃないか。けれど、、、あの肉の存在感にはリアリティよりも深いリアリティを感じるし、それは作品の向こう側のけっこう近しい所に“ある”ように感じる。
あの肉を僕らは知っている。そう言ったら極端だろうか。層(レイヤー)とは、作品に仕込まれたものではなく、僕らの意識の上に気付かぬうちに組み上げられてきたものだ。集団として、昔から。個人として、小さい頃から。その向こう側が見えるかは分からない。けれど指針はベーコンが指し示してくれる。喜ばしいことかは分からないけれど。ね。