夏の面影

otyanomizu

日々。意志と行動の相関を問われるかのよう。熱い油をすすって出来た口内の火傷、その治りかけの膜に触れた何かは、直接的な触覚と緩い痛みとの狭間でなにかリアルな感覚を呼び起こす。吸い込んだ煙草の煙がそこに異和を持ち込んでも、それはその感覚を再び思い起こさせるだけで何ら新たな意識を産まない。とはいえ、そんなことをここに書いてしまえっていうくらいの何かは産むけれども。
過去のある出来事とリアルタイムな今をどう重ねれば上手く物事をやり過ごせるかとか、少しだけ意識してはみたけれど、結局はそう直線的に時間軸が繋がるわけもなくただ雑学的に理解が増えるだけなのだけどまぁそれはそれで良いのだろう。それよりも言葉と意識(意志)の差に、やはり注目しなきゃ。
こんな適当なモノでなく、明日はちゃんと更新する、つもり。写真は御茶ノ水、駅と聖橋を眺める零時過ぎ。