今月は5日が仕事初めだった。で、まだ休んでない。明日日曜も会社。もちろん四六時中会社に貼り付いてるわけじゃないから、例えば知人の結婚パーティーやらがありそういうのには出れているものの、終電過ぎのタクシー帰宅と、さらに針は回ってメトロで朝帰りってのがほとんど。意外と楽しめているから良いものの、結構ハードなのは間違いない。行きたいところがたくさんあって(例えばART@AGNESとかね)、でも全然行けなかった。キリンジの悪玉ばっかり聴いているよ最近。


ベルンハルト・シュリンク『朗読者』読了。原題直訳は「朗読する男」となり明らかに主人公ミヒャエルを指すとのことで、邦題の“朗読者”を僕たち読者全てにストレートに重ねることは出来ないものの、しかしそうしてみたくなるのは否応のない心の動きだ、というか。
朗読する時、そのペースはほとんど一定に保たれる。けれど物語は一定には進まない。特にこの『朗読者』は、ある時期を焦点に物語が放出される。ゆったりとしかし転げるように物語は進んで、行き着くその終点は切ない。で、その切なさを語るのは簡単だけれどそんなことは正直どうでもよくて、それよりもそうして進む物語は恐らく“朗読”で読み進めたならもっとずっとその速度の勾配が際立って、意識は常に焦点たる時期に引き戻されながら、それによってその時読むまさにその地点が対比的に浮き上がるような、その構造をこそ語るべきだろう。小説の価値が設定と構造にあるなんて思わないけど、それさえ意識していればこの物語は“戦争”や戦争(時の過ち)を内在して生きる現在のドイツ人なんていうコトを超えて語れるんじゃないの。
って、Amazonのレビューをいくつか読んでいて思ったんだ。

朗読者 (新潮文庫)

朗読者 (新潮文庫)