OM-2『作品No.6 − LIVING Ⅱ−』

今日、OM-2『作品No.6 − LIVING Ⅱ−』]@日暮里d-倉庫。毎回難解で破壊的な表現を見せるOM-2。僕が観るのは今回で3回目。蝋燭に火を灯し、それが載せられた皿ごと床に落とし倒れこむ女や、上手く言葉を発せられず男女の行為になだれ込み、半ばで諦めるように去る2人、椅子の上で痙攣する男、床や壁に言葉を書き連ね続ける男などが錯綜する舞台。やがて太った男(毎回最も暴力的/破壊的に舞台上を染め上げる、佐々木敦)が現れ、自身の過去(いじめの体験や、そのいじめの主の死に様をある有名な電車脱線事故と絡めた話など)を話始める。その声は怪しく浮ついて聞き取りづらく、そのテキストは奥の壁に投影されている。そのうちに顔や体に血のような赤い塗料を塗った佐々木が背中にプロジェクターを背負い、顔の前に据えられたカメラで自身の顔のアップを劇場内に投影する。動き回る佐々木に合わせてその光が劇場内を乱雑に動く。また再び床に下ろされたプロジェクターのカメラは、客席を捉え、その映像が壁に映し出される。暗転した後、舞台上には椅子に座り読書する青年。すぐに読書をやめ、痙攣しだす。全裸になり椅子のうえに立ち尽くした青年の背中に、赤で文字が書かれる。その頃には舞台上の床や壁に書かれた言葉はかなりの面積にまで拡がり、同時にまた別の文章が数箇所に投影され、その内容はといえばその言葉の意味を問うことを求めないかのように拒絶的で、そうして終演。
リビングというタイトルが示すようにそれは各人の個人的な空間内での自閉的な苦悩の表現であり、生きること(リビング)の苦悩の表現。多様な人の苦悩に通底する相容れなさと、共通するその表象の狭間でどれだけの深度を表現するかってのがポイントだとすれば、深く潜りすぎて言語的“共感”など全く求めていないようで、その先の“手触り”のようなところで届く人にだけ届いてくれってな舞台。
観終えてから、純粋にそこに提示されるものを受け取ろう的な心持ちで臨んでたつもりだったけれどああ僕は破壊性を楽しもうっていう意識に随分支配されてたんだなあと気付いて、ちょっと反省した。