大阪の、一応は都心の、けれどやはり地方の、小さな春

ここでの作法というか、はてな記法すら忘れかけてる。

今僕が住むマンションの前は小さめの、といってもある程度の広さはある児童公園で、桜も10本くらいは植えられている。マンションから会社までは比較的近くて、こうして暖かな気候になってからは歩いて出勤することも多いのだけれど、そのときは桜も子供達もその母達も、そして広く青い空も一体となってああこれが春かーなんて考えるのに、ちょっとだけ飲んだ夜半に、その無限の奥深さを隠蔽するように濃く暗く沈んだ群青の天空を背景にうっすらと浮かび上がる夜桜(とも呼べない、色を失ってただ明度のみを感じさせる切片の集合体)は、どうにも不気味な何かをばかり感じさせる。
そこはやはりまだ“どこか”でしかなく“ここ”になっていない。それはつまり、刷り込まれた“あそこ”があることの強烈な証左。都市のノマドになるのは難しい。

大阪暮らし、楽しんではいるけどさー
そして、春の、桜の音楽ってなんだろう