狩野山楽・山雪展@京都国立博物館

狩野山楽・山雪展

京都国立博物館での特別展覧会『狩野山楽・山雪』展へ。
京都国立博物館て今まで行ったことなかったんだけど三十三間堂のすぐ向かいだったから、もっと早く向かって両方観とけば良かったと着いて思ったりした。
狩野山楽・山雪は狩野永徳の弟子筋であり、桃山から江戸へと移り変わる激動の時代の中で狩野派の絵師たちも「江戸狩野」と「京狩野」に分離していった、その「京狩野」草創期の立役者2人(初代山楽、二代目山雪)ということになる。より軽淡な画風を開拓していく「江戸狩野」に対し、京に留まり独自の画風を確立していくのが「京狩野」、という触れ込みなのだけれど、実は僕は江戸狩野にも狩野永徳にも明るくない。というわけで、鑑賞時の比較対称の基盤が見つけられないまま、若干の不安を覚えつつ向かったんだけど、そんな不安は杞憂に過ぎなかった。
純粋に、作品が良い。山楽については、もう会場入ってすぐの「竜虎図屏風」でああこれは…と納得させられる。龍と虎それぞれの王道感すら感じる造形力に加え、そのグラフィカルな構成の妙は時代を問わないよなあなんてしばし想いふける。山楽の作品はあまり多くない中で、もう一つ、「雲門体露金風図」という水墨人物画は布の輪郭の大胆さや風の表現、そのトータルの透明感などに感嘆した。ちなみにこれ、図録で見るとあの実物から発せられる良さはほぼ無くなっている。アウラはあるよなあてのと、そのアウラは作品自体に依るのか、はたまた時代が作り上げて(積み上げて)きたのか、てのはまた別の話だけど。
そうしてまず山楽を踏まえた後に待ち構える山雪作品。そのなかでもやはり、その冒頭を飾った「朝顔図襖」(京都 天球院)*1が素晴らしかった。描かれるモチーフは朝顔と竹垣がメイン、画面構成を助けるようにして百合や菊、撫子が添えられている。決して派手ではないモチーフ達を、構成力が一気に押し上げる作品といったところか。水平と垂直が幾重にも重なって、そのレイヤーに奥行きや繊細な美しさを感じる作品だと思う。水平に広がろうとする朝顔が襖の上縁にまで大きく絡み付く(=上縁を縁取る)ような構成は、恐らくその他の作品にはあまりない構成のように感じたのだけれど、どうだろうか。一方で百合や菊が画面の前方で明らかに垂直性を強調されながら添えられる。それらのただ中で、淡く繊細に書き込まれた竹垣が水平線/垂直線の両方を伴いながら、人工物として自然物とはまた異なる存在の有り様を示すといった具合で、決して象徴性や中心性は持たないまま、幾重にも重ねられた幾何的なレイヤーに分け入って行くその行為/感覚をいつまでも楽しめるような作品だった。
他にも山雪の作品(主に大作)はこのような幾何学的な構成の妙が味わいになっている。加えて、絵画世界の追求に没頭する人だったとかで、確かにその技術に目を見張るような作品も多い。(けれど、技術について語る言葉を僕は持たない。)
最後に、これも本展覧会の狙いの一つだったろう「奇想の系譜」について。山雪がその先駆者であったよと感じさせるような作品も確かに見物(みもの)で、特にフクロウと猿はホントに可愛いのでその辺興味ある人も是非。

*1:展覧会では「山雪/山楽筆」と併記の形をとっている(図録でも同様)。以前は山楽筆だと考えられていたそうだが、その後、山楽から山雪への転換期において山雪が主体となりながら山楽がバックアップした作品と考えらるようになったとのこと。